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シードラゴン (USS Seadragon, SS-194) は、アメリカ海軍の潜水艦。サーゴ級潜水艦の一隻。艦名はタツノオトシゴと近縁のリーフィーシードラゴンとウィーディーシードラゴンに因んで命名された。 ==艦歴== シードラゴンは1938年4月18日にコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工した。1939年4月21日にJ・O・リチャードソン夫人(太平洋艦隊司令長官ジェームズ・リチャードソン提督の妻)によって命名、進水し、1939年10月23日に艦長ジョン・G・ジョンズ少佐の指揮下就役する。 東海岸およびカリブ海での整調後、シードラゴンはニューイングランドに戻り、1940年5月23日にコネチカット州ニューロンドンを出航、フィリピンに向かった。第17潜水艦隊司令が同乗し、シードラゴンは11月30日にカヴィテに到着。の1隻として訓練活動に参加した。1年後にオーバーホールの準備に入り、真珠湾攻撃時の1941年12月8日にはウィリアム・E・フェラル少佐(アナポリス1927年組)の指揮下、カヴィテ海軍工廠でのオーバーホール作業が開始されていた。 2日後の12月10日、シードラゴンおよび姉妹艦のシーライオン (''USS Sealion, SS-195'') は、カヴィテに対する敵機の空襲を受ける。この日襲来したのは第十一航空艦隊(塚原二四三中将)指揮下の第一航空隊に属する九六式陸攻27機で、カヴィテ海軍工廠とマニラ港を爆撃した。シーライオンは直撃弾を受け船体を破壊され、シードラゴンも爆弾2発が命中し損傷を受けた。爆発によりシードラゴンの艦橋の一部が剥ぎ取られた。破片がバラストタンクに穴を空け、司令塔に突き刺さった。この攻撃でサミュエル・H・ハンター少尉が戦死し、5名が負傷した。爆発による熱はシードラゴンの船体を焦がし、黒色の塗装には水泡が生じた。 波止場は火災と爆発によって包まれた。近くの弾薬庫に炎が迫り、シードラゴンに並んで停泊していた魚雷を搭載した貨物船に達しようとしていた。救難艦ピジョン (''USS Pigeon, ASR-6'') は危険を顧みずシードラゴンに接近、水路へと曳航した。その後シードラゴンは自力でマニラ湾へ移動した。その後、潜水母艦カノーパス (''USS Canopus, AS-9'') およびピジョンによる応急修理が行われ、その後12月15日の夜にアジア艦隊のスタッフが乗艦した。12月16日の0時にシードラゴンはマニラ湾を出航した。シードラゴンは駆逐艦バルマー (''USS Bulmer, DD-222'') に護衛されて南へ移動し、スリガオ海峡およびマカッサル海峡経由でスラバヤのオランダ海軍基地へ向かい、同地で便乗者を降ろした後、塗装を除く修理が行われた。その後シードラゴンは最初の哨戒の準備に入った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「シードラゴン (潜水艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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